2010年01月07日
新年早々の総決起大会
年が明けて、各政党や民主団体のみなさんは、
「旗びらき」や「新年会」などが開催されているみたいです。
わたし達、日本共産党沖縄県委員会も例年はホールを貸し切って、
盛大に「旗びらき」を祝うのですが、
今年はそういうわけにもいきません。
沖縄から米軍基地を撤去していくために正念場となる今年。
そしてその最初の重大な選挙となる名護市長選挙が、
告示まであと十日と迫る中で、祝賀ムードとはいかがなものか。
そこで昨夜、那覇市民会館で「名護市長選挙勝利をめざす総決起集会」
を開きました。
「正月くらい、少しはお料理も出して乾杯もしたいのになあ…」
なんて、思っていたのですが、
さすがは日本共産党員と後援会のみなさんです。
雨降る中、意気揚々と150人もの方々がご参加くださいました。
集会も赤嶺政賢衆院議員の報告を含めて、
緊迫感にあふれ、そして基地撤去の展望を開く、
文字通り総決起の場になりました。
発言者のみなさんが、それぞれ語っていたのは、
沖縄県民のたたかいの歴史でした。
1951年のサンフランシスコ条約第3条では、
日本は沖縄の施政権を米国に渡すことを決めており、
条約的には本土復帰の根拠となるものはなかったこと。
しかし1968年、主席公選を含む三大選挙の勝利。そしてその結果が、
翌年1969年に「佐藤・ニクソン日米首脳会談」で沖縄返還が合意されたこと。
1972年の祖国復帰は、国際条約上は不可能だったものを
沖縄県民の「島ぐるみ」のたたかいで実現してきたのです。
いま鳩山内閣は、普天間基地の無条件撤去について、
「日米合意があるから難しい」と言います。
しかし沖縄県民のたたかいの歴史を知れば、
「それがどうした!民意と道理はここにある!」と胸を張って言うことができます。
先輩たちが築いてきたこの歴史のつづきを生きるわたしたち。
基地撤去の日を必ず、わたしたち世代で迎えようではありませんか!
名護市長選挙を勝利するまで、本当の乾杯はお預けなのです。

気迫の訴えをする赤嶺政賢衆院議員
「旗びらき」や「新年会」などが開催されているみたいです。
わたし達、日本共産党沖縄県委員会も例年はホールを貸し切って、
盛大に「旗びらき」を祝うのですが、
今年はそういうわけにもいきません。
沖縄から米軍基地を撤去していくために正念場となる今年。
そしてその最初の重大な選挙となる名護市長選挙が、
告示まであと十日と迫る中で、祝賀ムードとはいかがなものか。
そこで昨夜、那覇市民会館で「名護市長選挙勝利をめざす総決起集会」
を開きました。
「正月くらい、少しはお料理も出して乾杯もしたいのになあ…」
なんて、思っていたのですが、
さすがは日本共産党員と後援会のみなさんです。
雨降る中、意気揚々と150人もの方々がご参加くださいました。
集会も赤嶺政賢衆院議員の報告を含めて、
緊迫感にあふれ、そして基地撤去の展望を開く、
文字通り総決起の場になりました。
発言者のみなさんが、それぞれ語っていたのは、
沖縄県民のたたかいの歴史でした。
1951年のサンフランシスコ条約第3条では、
日本は沖縄の施政権を米国に渡すことを決めており、
条約的には本土復帰の根拠となるものはなかったこと。
しかし1968年、主席公選を含む三大選挙の勝利。そしてその結果が、
翌年1969年に「佐藤・ニクソン日米首脳会談」で沖縄返還が合意されたこと。
1972年の祖国復帰は、国際条約上は不可能だったものを
沖縄県民の「島ぐるみ」のたたかいで実現してきたのです。
いま鳩山内閣は、普天間基地の無条件撤去について、
「日米合意があるから難しい」と言います。
しかし沖縄県民のたたかいの歴史を知れば、
「それがどうした!民意と道理はここにある!」と胸を張って言うことができます。
先輩たちが築いてきたこの歴史のつづきを生きるわたしたち。
基地撤去の日を必ず、わたしたち世代で迎えようではありませんか!
名護市長選挙を勝利するまで、本当の乾杯はお預けなのです。
気迫の訴えをする赤嶺政賢衆院議員
Posted by 比嘉みずき at 15:35
│日本共産党