2010年06月06日

瀬長フミさん逝く

瀬長亀次郎さんの妻として。
そして那覇市議を4期16年務めた
瀬長フミさんが逝去しました。享年102歳。

復帰後に生まれたわたしにとって、
フミさんはカメジローさんと同じように伝説の人でした。

地域を歩くと本当に多くの人々から、
カメジローさんの逸話を聞きます。
反骨心にあふれ、痛快な話が多いカメジローさんの話をするとき、
県民はみんなまるで自分のことのように誇らしく話します。

そんなカメジローさんの話もわたしは大好きですが、
県民が語るフミさんの話も大好きです。

楚辺にあった小さなマチャーグヮー『瀬長商店』に立つフミさん。
貧しい庶民のためにフミさんは、
醤油や酒は計り売り、
たばこだって1本ずつばら売りしていたそうです。

「困っているときには、助け合わないとね」
フミさんの言葉を思い出す時、みんな涙目になります。

「あんなに優しい人はいなかったよ。
 魚の缶詰を開けてね、わたしのために分けてくれたさぁ…」

瀬長商店は決して儲かっていたわけでもなく、
雨漏りもするような小さな小さなお店だったそうです。

その瀬長商店のすぐ隣には、
カメジローさんが投獄された刑務所もあって、
出所の日に、県民が大勢で迎えた写真が有名です。

訃報を知らせる新聞の記事は
次のように結ばれていました。

『終戦直後から復帰運動の先頭に立ち、
 米民政府から弾圧を受けた亀次郎氏を陰で支え、
 夫婦共に大衆に尽くす生き方を貫いた』

フミさんの意志を引き継いで、
基地のない平和な沖縄をつくります。
ご焼香の手を合せました。

瀬長フミさん逝く

                        大衆に尽くす生き方



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Posted by 比嘉みずき at 23:33 │日本共産党