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Posted by TI-DA at

2016年04月21日

ブログ移転のお知らせ

ブログを以下に移転しました。
http://higamizuki.com/blogtop/
今後ともよろしくお願い致します。  


Posted by 比嘉みずき at 17:45比嘉みずき

2014年11月14日

ひび割れた手

街頭演説で嬉しいのは、
これまで生活相談で関わった
みなさんとの再会です。

わたしの演説が
終わるのを待ちかねて、
みなさん駆け寄ってくれます。

「みずきさ〜ん!」

もうそれだけで、
目頭が熱くなってきます。

「あの時はお世話になりました。
 いまは元気に暮らしてますよ!」

初めて相談に来た時は、
うつむいてばかりいたあの人が、
一緒に問題を解決していくなかで、
前を向いて、
明るい表情になっていく。

市議会議員をしていて
一番嬉しい瞬間です。

       *

二年前に相談にのった、
お母さんと再会しました。

母子家庭で育った、
お母さんの一人娘は、
高校でとても成績が優秀な子でした。

大学に入学して、
授業料の奨学金は借りたけれど、
入学金がどうしても支払いできない。

銀行をまわり歩いたけれど、
収入が低すぎて借入もできない。

困り果てて、
わたしの無料生活相談事務所に
駈け込んできました。

那覇市の職員と連携して、
母子寡婦福祉資金を利用して、
問題を解決できました。

        *

あれから二年が経ち、
娘さんは大学で一生懸命
勉強しているそうです。

本当にありがとうございました。
本当にありがとうございました。

お母さんは何度もお礼を言いながら、
目を真っ赤にして、
お辞儀ばかりする。

わたしのほうが胸が詰まってくる。

真面目に暮らしている人たちが、
どうしてこんなに
暮らしにくい世の中なんだろう。

お金のあるなしで、
どうして子どもたちが、若者たちが、
保育や教育を受けられないのだろう。
諦めなければいけないのだろう。

         *

沖縄の選挙はいつも、
基地問題が大きな争点になるけれど、
わたしは叫び声にもならない、
小さなため息を忘れない。

うつむき歩いている人たちが、
少しでも顔を上げてもらえるように。
政治がやるべき仕事は山ほどある。

ひび割れた手で強く握ってくれた、
あの人たちの手を絶対に忘れない。




  


Posted by 比嘉みずき at 23:17日々のこと

2014年11月12日

前田さんが夢見た光景

今回の県議補欠選挙は、
昨年、前田政明県議が、
不慮の事故で逝去されたことに
ともなう選挙だ。

前田政明県議は、
核も基地もない平和で豊かな沖縄
の実現のために、
最後まで奮闘した
わたしの大先輩だ。

また、父親のような存在でもあった。

前田さんは、亡くなるほんの一月前に、
翁長雄志さんを先頭にした
建白書を提出する、
あの東京要請行動に参加している。

「まさか翁長雄志さんと一緒に、
 銀座の街をデモ行進するなんてなぁ。
 こういう時代がこんなに早く来るなんてなぁ」

前田さんは楽しそうに笑っていた。

わたしが議員になって、
前田さんと宣伝カーに乗るようになり、
幾つもの選挙を一緒にたたかった。

基地問題はいつも選挙の争点だった。
勝つ選挙もあれば、負ける選挙もあった。
前田さんは宣伝カーのなかで、
いつもわたしに語り掛けていた。

「みずき、僕たちの本当の敵は、
 相手候補ではないよ。
 あの後ろにいて、
 基地を押し付けてくる
 日米両政府が本当の相手なんだよ」

「だからね。県民は団結が大切なんだ。
 県民の連帯と団結を
 瞳のように大切にするんだよ」

前田さんはわたしに伝えるように、
そして、自分自身に言い聞かせるように
何度もその話をしてくれた。

県知事選挙を闘っている今、
前田さんが言っていた光景が広がっている。

「今度の選挙は、
 これまでの保守対革新の選挙ではない。
 新基地建設を許さないわたしたち沖縄県民と、
 基地を押し付けてくる勢力との対決だ」

多くの弁士のみなさんが、
前田さんと同じことを訴えている。

明日から三日攻防にはいる。
喉が痛くなってきたけれど、
マイクを握るわたしの隣には、
いつも前田さんがいるような気がする。

身体も声も大きな人だった。
描いた夢はもっと大きかった。

核も基地もない平和で豊かな沖縄を。

わたしはその遺志を引き継いで、
翁長県政をしっかりと支え、
建白書を実現する、
強い県議会をつくるために奮闘する。



  


Posted by 比嘉みずき at 22:49比嘉みずき

2014年11月10日

Facebookページのお知らせ

ブログをご覧になっている皆さま。
いつもありがとうございます。

わたくし比嘉瑞己は、
Facebookページも利用して、
日々の活動を綴っています。

そちらのほうも、
覗いていただけると嬉しいです。

これからも一生懸命、
がんばります。

どうぞよろしくお願いします。

2014年11月
比嘉瑞己

https://www.facebook.com/pages/%E9%82%A3%E8%A6%87%E5%B8%82%E8%AD%B0%E4%BC%9A%E8%AD%B0%E5%93%A1-%E6%AF%94%E5%98%89%E3%81%BF%E3%81%9A%E3%81%8D/206038059553582  


Posted by 比嘉みずき at 00:01比嘉みずき

2014年11月07日

出発式での決意表明

【出発式での決意表明】要旨

これまで街頭から多くの県民に訴えてきた。
みんなが足を止めて聞いてくれる一節がある。
翁長雄志さんの訴えを紹介するときだ。

「戦後69年間、わたしたち沖縄県民は、
 望んでもってきたわけでもない
 米軍基地を挟んで、
 互いにいがみあってきた。
 県民同志の喧嘩を上から眺めて
 笑っている人々がいる。
 県民同志が分断されて喜んでいるのは、
 基地を押し付けてくる日米両政府だ。
 だからこそ、わたしたち沖縄県民は
 『新基地建設を許さない』と誓った、
 あの建白書の立場で、
 心をひとつにがんばろう」

翁長さんのこの決意に、
多くの県民が足を止めて、手を振ってくれた。
車のなかからクラクションを鳴らして
応えてくれたお父さん。
団地のベランダから、身を乗り出して、
手を振ってくれたお母さん。
路地の奥から拍手をしてくれた、
おばあちゃんがいた。
公園のベンチから立ち上がり、
拳をたかく掲げてくれた、
おじいちゃんがいた。

仲井眞知事や一部の政治家が、
県民を裏切ったけれども、
わたしたち沖縄県民は決して屈していない
いまこの「建白書」の旗のもとに、
オール沖縄の思いは、
よりいっそう固く強いものになった。

           *

わたしは本土復帰後の
1974年に生まれました。
4人に1人が亡くなった
あの地上戦も知らなければ、
米軍占領統治下の
大変な時代も知らない世代です。

しかし一方で、
米軍基地の不条理に対して、
立ち上がり、声をあげ、抵抗してきた
不屈の歴史でもあることを知っています。

1956年のプライス勧告。
1972年の本土復帰。
そして2013年のあの「建白書」。
いまわたしたちは、脈々と続く島ぐるみの闘いの、
その歴史のなかに今も立っています。

みなさん、2014年11月16日。
この県民の不屈の闘いに、
新しい1ページを刻もうではありませんか。
翁長雄志県知事誕生、
城間みきこ那覇市長誕生、
永山盛太郎那覇市議誕生、
そしてわたくし比嘉瑞己を
県議会に送っていただいて、
4人全員勝利。
完全勝利をめざしてがんばりましょう。

           *

わたしには、
こないだ1歳になったばかりの息子がいます。
まだ立ち上がったばかりで、
いま一生懸命に歩く練習をしています。
息子がもう少し大きくなったら。
辺野古の海につれて行きたいと思います。
あの美しい水平線を見せてあげたいと思います。

そして息子に伝えたいと思います。

「この海は何度も何度も
 埋め立てられそうになったけれど、
 わたしたち沖縄県民は
 翁長県知事を誕生させて、
 この海を守ったんだよ」。

子どもたちや孫たちへ。
そして、これから生まれてくる次の世代へ。
ウチナーンチュの誇りと尊厳を示す選挙です。

わたくしは、翁長県知事を必ず誕生させて、
日米両政府の基地押しつけを跳ね返す、
強い県議会の一員となるために、
命かじりがんばる決意です。

みなさん共にがんばりましょう。



  


Posted by 比嘉みずき at 22:57比嘉みずき

2014年11月01日

つないだ手と手

沖縄セルラー・スタジアムで、
「オナガ雄志うまんちゅ1万人大集会」。
この企画を聞いたときに不安になりました。

しかし開場と同時に、
県内各地から参加者が詰めかけ、
なんと1万4800人の参加で大成功しました!

溢れんばかりの人々に、
演壇から訴えるみなさんも、
気持ちが昂揚しているようでした。

特に、自民党を除名になった、
那覇市議会新風会の金城徹会長の訴えは、
基地を押し付けてくる
政府への怒りに溢れていました。

「今朝の新聞で、自民党本部の幹部が
 移設に反対なら代替案を示せと言っていた。
 わたしたち沖縄県民は、
 普天間基地を誘致した覚えはない。
 なんで代替案を沖縄県民に求めるんだ」

金城徹さんの怒りは至極まっとうで、
もうわたしたち沖縄県民が
「苦渋の決断」を迫られる必要がないことを、
宣言しているようでした。

新基地建設を許さない島ぐるみの闘いは、
今日もまた強く大きく発展している。

今回の県知事選挙では、
最後のガンバロー三唱は、
みんなで手をつないで
行うことが慣例になってきました。

新基地建設を許さない建白書の実現のために、
県民の心をひとつに。

つないだ手と手は、勝利を誓い、
高く、高く空に突き上げられました。



  


Posted by 比嘉みずき at 21:33沖縄

2014年10月30日

オジィやオバァから受け継いだもの

わたくし比嘉みずきは、
県知事選挙と同日に行われる、
沖縄県議会議員補欠選挙の
予定候補者となりました。

辺野古新基地建設ストップ、
建白書の実現をめざす、
「ひやみかち・うまんちゅの会」からの推薦を受けて、
立候補する予定です。

重大な決意をした今、
辺野古で座り込みをしていたオジィとオバァが、
わたしに語り掛けた言葉を思い出しています。

「わたしたちは戦争体験者だ。
 もう2度とあの戦争を繰り返してはいけない。
 いま座っているのは、わたしたちのためじゃない。
 あなたたち、孫たちのために毎日座っているよ」

今回行われる沖縄県知事選挙は、
これまでの保守対革新の対決ではありません。

県民との約束を裏切って、
辺野古新基地建設を進める勢力と、
平和を願い、建白書の実現を目指す、
わたしたち沖縄県民との対決です。

子どもたちや孫たちのために。
そしてこれから生まれてくる次の世代のために。
ウチナーンチュの誇りと尊厳を守るために。

建白書の実現めざすオナガ県政を支え、
日米両政府からの新基地建設押しつけを跳ね返す、
強い沖縄県議会をつくるために、
一生懸命がんばります。

2014年10月29日
比嘉みずき


  


Posted by 比嘉みずき at 00:36比嘉みずき

2014年10月17日

この光景を誰が想像できただろう

今夜、那覇市民会館で手をつないだのは、
オナガ雄志 沖縄県知事予定候補
志位和夫 日本共産党委員長
城間みきこ 那覇市長予定候補
金城徹 那覇市議会新風会代表
平良朝敬 ホテルかりゆしグループCEO
赤嶺政賢 日本共産党県委員長

「戦後69年間、わたしたち沖縄県民は、
 望んで出来たわけでもない米軍基地を挟んで
 互いにいがみあってきた。
 それを上から眺めて笑っている人々がいた。
 基地を押し付けてくる日米両政府だ。
 いまこそ県民が心をひとつにして、
 新基地建設を絶対に許さない。
 その立場で力を合わせる時だ」

オナガさんの訴えに、
みんなが心から拍手した。

わたしたちを結びつけているのは、
沖縄県すべての市町村長と議会議長、
県議会各会派が署名したあの「建白書」だ。

これまで互いにいがみあってきたわたしたちが、
『普天間基地の閉鎖・撤去、県内移設断念』
建白書に刻まれたこの一点で手をつなぎあっている。

子どもたちや孫たち、
そしてこれから生まれてくる次の世代にまで、
基地あるが故の苦しみを残してはいけない。

鳴りやまない参加者の拍手には、
「歴史を後戻りさせてはいけない」
その決意が込められていました。



  


Posted by 比嘉みずき at 00:08沖縄

2014年10月09日

追いつめられているのは彼らのほう

止めよう!辺野古新基地建設
10・9県庁包囲県民行動に参加しました。

辺野古では今日も緊張が続いているけれど、
県庁包囲行動に参加しているみなさんの表情は、
「必ず工事は止められる」
その確信に満ちていました。

いま、安倍政権が新基地建設を強行している
その最大の理由は、
「仲井眞知事が埋め立てを認めてくれたから」

けれども、
辺野古新基地建設について、
名護市議会が反対をしている。
名護市長も反対している。
沖縄県議会も反対している。
世論調査では80%もの県民が中止を求めている。

圧倒的な県民の民意が示されているのに、
安倍政権が強行的に工事を進めるのは、
自ら道理がないことを知っているからだ。

追いつめられているのは沖縄県民ではない。
民主主義の力を恐れ、
強権的なやり方しか道が残されていない、
仲井眞知事と安倍政権こそが、
いま追いつめられている。

正義と道理はわたしたちにある。
県庁を包囲したみんなの顔は、
とてもいい顔していました。



  


Posted by 比嘉みずき at 23:43沖縄

2014年07月27日

心ひとつに

「沖縄『建白書』を実現し,
未来を拓く島ぐるみ会議」
結成大会に参加してきました

2000人以上の参加者で、
会場の宜野湾市民会館は超超満員
わたしも階段通路に座って、
歴史的瞬間に立ち会いました

島ぐるみ会議の顔ぶれは、
革新や保守と呼ばれる政治家や、
労働組合から経済界、
学者、知識人、民主団体など、

文字通り、
思想信条・政治的立場の違いを超えた、
島ぐるみの結成大会になりました

辺野古移設を決めた日米合意から18年。
わたしたち県民は決してあきらめずに
抵抗し続けてきました。

何度も何度も、
挫折しそうな時がありました。

そのたびに、歯を食いしばって
あきらめず、励まし合い、
がんばってきました。

でもまさか、
その先にこんなに凄い光景が
広がっているなんて、
あの頃の誰が想像できたでしょうか。

今日、発言したすべての人の訴えは、
どれも美しい詩のようでした。

「わたしたち一人ひとりの力は
 小さいかも知れないが、
 決して無力ではありません。
 沖縄県民の声をひとつにまとめあげ、
 東京を揺るがし、
 太平洋の荒波を超えてワシントンまで
 揺るがそうではありませんか」

そのためにも島ぐるみのたたかいが重要であること。
その要となるのが沖縄『建白書』であること。

参加者全員がそのことに
確信をもった大会になりました。

心ひとつに。
誓いの拳がつきあがるのでした。



  


Posted by 比嘉みずき at 23:16沖縄

2014年07月03日

ニーメラー牧師の言葉

安倍政権の暴走
(第1次・第2次内閣)

2006年12月
教育基本法改悪
防衛庁設置法(防衛庁が省へと昇格)

2007年5月 
憲法改正手続に関する国民投票法
イラク特措法で自衛隊派兵延長

2013年12月
特定秘密保護法

2014年4月 
武器輸出三原則を撤廃

2014年7月
集団的自衛権行使容認を閣議決定

軍靴の音が少しづつ少しづつ
近づいている。

国民の声を無視して、
暴走をつづける彼らを見ていると、
あの言葉を思い出す。

マルティン・ニーメラー牧師の言葉だ。

ヒトラー支持者だった彼は、
教会からのユダヤ人追放政策に反対し、
反ナチス運動家として
強制収容所に収監される。

ホロコーストをまぬがれ、
収容所から生還する。
戦後は反戦運動家として活躍した。

ニーメラー牧師の言葉を知ったのは、
元県議の外間ヒサコさんの議員室だった。
たまたま用事があって訪れた部屋の壁に、
この言葉が張られていた。

  ***

「彼らが最初共産主義者を攻撃したとき」

ナチスが最初共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった
私は共産主義者ではなかったから

社会民主主義者が牢獄に入れられたとき、私は声をあげなかった
私は社会民主主義ではなかったから

彼らが労働組合員たちを攻撃したとき、私は声をあげなかった
私は労働組合員ではなかったから

そして、彼らが私を攻撃したとき
私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった

  ***

戦争はある日突然やってくるものではない。
戦争につながる一切のものに、
声を上げつづけることの大切さを訴えていた。

ヒサコさんはこの言葉を胸に
いつも街頭に立っているんだろうな。
とても胸が熱くなった。

2014年7月1日
日本は歴史的な転換点を迎えた。
「ナチスの手口を学んだほうがいい」
安倍政権はほくそ笑んでいるに違いない。

しかし、
彼らの暴走が進めば進むほど、
国民との矛盾点は大きく広がっていく。
大手メディアは伝えないけれど、
国民の多くが「おかしい」と声を上げている。

今日、わたしの事務所に
地域の方が訪ねてきた。

「わたしに何ができるかわかりませんが、
 みなさんのお手伝いがしたい。
 共産党に入党したいです」

たたかいはここから。
声をあげる人はたくさんいるのです。



  


Posted by 比嘉みずき at 12:01平和

2014年05月21日

瀬長さんの花

幼い頃からベランダにあった植木。
ものぐさな比嘉家で、
日照りと風雨にさらされ続けてきました。

それでも毎年、花を咲かす。

ある日、父が思い出したように話した。
なんと瀬長亀次郎さんから頂いた植木だそう。

自慢げに話す割には、
割れたプランターのなかで、
乾いた土に埋もれているだけに見えた。

父の手を離れ、今はわたしが譲り受けた。

古い鉢のなかで、
雑草さえも枯れ果てているのに、
その植木の花は今年も咲いた。

今日、思い切って新しい鉢に植え替えた。
古いプランターから掘り起こしたら、
乾いた土にしっかりと根を張っていた。

名前も知らない花だけれど、
なんだか瀬長さんのように見える。
不屈の花。

きな臭い時代になってきたけれど、
沖縄県民がんばれ。

新しい土に咲く花から、
そんな声が聞こえた気がした。


  


Posted by 比嘉みずき at 15:57日々のこと

2014年04月20日

辺野古から学んだこと

辺野古の座り込み行動が
10周年を迎えました。

あの頃、
わたしはまだ政治の道を歩んでいなく、
病院で働いていました。

命を守る医療従事者として、
基地問題に関心をもつようになり、
平和運動に参加するようになっていました。

そして10年前の4月19日。
いよいよ辺野古にボーリング調査が
強行される情報がはいってきました。

行こうかどうか迷っているときに、
ある先輩が背中を叩きました。

「どうしても、
 その現場に居なければいけない時がある。
 今がその時なんだよ」

夜もまだ明けない暗闇のなかを、
その先輩と高速道路を飛ばして向かいました。

あれから10年。
何度も何度も通った辺野古で、
多くのことを学びました。

「平和が大切とみんな言うけれど、
 いま立ち上がらないで、いつ立ち上げるんだ」
亡くなった金城祐治さんの言葉にも、
背中を押されました。

昨年亡くなった大西照雄さんからは、
県民のたたかいの歴史を。
今月に亡くなった佐久間務さんからは、
運動を継続していく尊さと気高さを。

わたしは辺野古のたたかいを通して、
背中を押してもらい歩き続けてきたんだ。
今日の集会で、
辺野古の砂浜に立ちながら思いました。

安倍政権があらゆる権力を動員して、
新基地建設を強行しようとしています。

おじぃおばぁ達の座り込みは、
軍艦を追い払い、
美しい海に杭一本打たせませんでした。

非暴力の抵抗は、多くの県民を励まし、
いまでは世界中の仲間とつながっています。

このたたかいに必ず勝利する。
太陽が照り付ける辺野古の海に
あらためて誓いました。




  


Posted by 比嘉みずき at 00:07平和

2014年02月01日

旧正月の夢

いつか普天間基地だけでなく、
嘉手納基地も那覇軍港も、
沖縄にある米軍基地すべてが撤去される日が来る。

そのとき、
わたしたち県民の運動は、
インドの独立運動とおなじように、
世界史に刻まれるだろう。

いつもそんな思いで活動しています。

その思いをあらためて強くしたのが、
映画監督のオリバー・ストーンさんら、
海外の著名な文化人や識者のみなさん
による共同声明です。

「私たちは、沖縄の人々による平和と尊厳、
 人権と環境保護のための
 非暴力のたたかいを支持します」

旧正月の今日、
あらためてその声明を読んでいたら、
とても晴々とした気持ちになりました。

世界の映画監督が、
沖縄のたたかいを撮ったらどうなるか?
そんな妄想も楽しいものです。

オリバー・ストーンや、
マイケル・ムーアは何となく想像できるなぁ。

コーエン兄弟やウェス・アンダーソン、
が撮ったら楽しそうだな。

アキ・カウリスマキや
ヴィム・ヴェンダースに撮ってもらえたら、
もう言うことはないね。

あるいは、タランティーノが
沖縄の非暴力のたたかいを撮る!

平和を愛し、民主主義を守るために
立ち上がった人々、
みんなが主人公だぜ!

いまはまだ妄想かもしれなけれど、
必ずそういう日が来る。

そのことを誓い、
ご先祖さまにウートートーしました。
イイ ソーガチ デービル!
(良い正月だ!)



  


Posted by 比嘉みずき at 00:09米軍基地

2013年12月28日

強い意志

仲井眞知事が
辺野古埋め立てを承認した。

今朝の新聞各紙が大きく報道していた。

安倍政権の描いたシナリオを、
筋書通りに演じた知事に、
多くの県民が怒り、悲しんでいる。

もちろんわたしも腹が立ったが、
不思議と冷静な自分もいた。

決して、シラけているわけではない。

あの仲井眞知事が、
県民の側に立つことができないことは、
これまでの言動からも、
分かり切っていたことだし、

そもそも、
普天間基地の辺野古移設は
17年前からの
日米両政府の合意事項だ。

決して、シラけているわけではない。

それは強い意志だ。

17年間も辺野古の海に、
杭一本打たせてこなかった、
わたしたち県民の不屈のたたかいに対する、
絶対的な確信から生れた、強い意思だ。

これからも紆余曲折はあるだろう。
強い風も吹けば、冷たい雨も降ろう。
だけど。陽はまた昇るのだ。

緊急にひらかれた県民集会に参加した。

新たな決意を固める群衆のなかに、
日本共産党元衆院議員の
古堅実吉さんがいた。

達筆なスローガンのことを尋ねたら、
新たなたたかいがはじまるからと、
昨夜遅くまで筆を走らせていたそうだ。

「道理と大義あるこのたたかいは、
 必ず最後に県民が勝つのだ」

古堅さんの名言をいつも思い出す。

わたしたち県民の不屈のたたかいには、
シラけている暇はないのだ。



  


Posted by 比嘉みずき at 23:53米軍基地

2013年12月13日

「孤独死」から見えるもの

那覇市における高齢者の「孤独死」が、
2012年は81人だったことが明らかになりました。
2011年の40人と比べても倍増しています。

これまで社会を支えてきた高齢者が、
人生の最期を誰にも看取られることなく、
亡くなっていく。

今年10月現在、
那覇市の独居老人と
高齢者のみ世帯を合わせると
総世帯の約18%にもなります。

急速にすすむ高齢化社会のなかで、
高齢者の生きがいづくり、居場所づくりは、
これまでにも増して重要になっています。

昨日の一般質問において、
わたしは那覇市の実態を明らかにしたうえで、
地域の拠点でもある「学校」に注目をしました。

これまで那覇市でも、
地域のなかで果たす学校の役割を活かし、
生涯学習の振興と、
地域のコミュニティーづくりを目的とした
「地域学校連携施設」を設置してきました。

市内には小学校が37校、
中学校が17校ありますが、
この地域学校連携施設があるのは、
小中あわせて25校です。

一定程度の設置が進んではいますが、
問題はその運営方法です。

地域学校連携施設を自主運営するためには、
地域による運営委員会があることが重要です。
しかし残念ながら、
地域主体の運営委員会がある学校は現在5校のみ。

地域のみなさんからは、
何か活動をしたくても自治会事務所がない、
集える場所がないと、困っている声をよく聞きます。

地域の拠点でもある身近な学校に、
地域学校連携施設があるのに活用されていない。

このことは、那覇市にとっても地域にとっても
勿体ない話だと思います。

住み慣れた地域で、市民が支え合って暮らす。
そのための仕組みづくりは
まだまだ課題がいっぱいです。



  


Posted by 比嘉みずき at 23:54那覇市

2013年10月17日

那覇市の高すぎる国保税

那覇市の2012年度決算審査が本日終了しました。

最終日の今日は、
予算決算常任委員会での
総括質疑を行いました。

わたしが取り上げたのは、
那覇市の国民健康保険特別会計について。

那覇市の国保加入世帯の平均所得は74万円。
所得に占める国保税の負担割合は16%。
所得の1割以上を
国保税として納めなければいけません。

その結果、
那覇市の国保加入世帯の16.9%にあたる
9,481世帯が保険税を滞納し、
短期保険証は5,572世帯。

さらに、保険証有効期限が切れても
更新に来ることができない未更新世帯、
いわゆる無保険状態の世帯は3,908世帯
にもなることが明らかになりました。

那覇市の高すぎる国保税では、
市民は支払うことができず、
累積赤字はどんどん増え、
結局は那覇市の財政も厳しくなる。
まさに悪循環です。

那覇市の累積赤字は2012年度決算時点で、
約42億円にまで膨れ上がってしまいました。

国保財政の悪化の原因は、
何よりも国庫負担の削減にあります。

歴代政権は1984年度から2010年度の間に、
市町村国保の総収入に占める
国庫支出金の割合を50%から25%へと
半分に削減してきました。

わたしたち日本共産党那覇市議団は
国保制度に対する国の責任を求めると同時に、
地方自治体としての那覇市の責任として、
一般会計からの政策的繰入を要求してきました。

これまで那覇市はこうした
政策的繰入を計画的に行ってこなかったために、
累積赤字が約42億円にもなっています。

わたしは総括質疑のなかで、
仮にこれから政策的繰入を全く行わなかった場合、
那覇市の累積赤字はどうなるのかと質疑しました。

当局の答弁では、
6年後の2019年度には176億円もの赤字になるとの
試算結果が明らかになりました。

累積赤字が176億円。
さすがに当局も、
「政策的繰入を行います」と明言しました。

議会が終わったあと、
少なくない議員や職員のみなさんから、
ねぎらいの声をかけて下さいました。

道理ある提案は市政を動かすことができる。
あらためてそのことを確認した一日でした。


  


Posted by 比嘉みずき at 22:48那覇市

2013年10月02日

「悪意という名の街」一緒に歌う夜

昨日で9月議会が終わり、
明日からは決算委員会がはじまります。

今日はぽっかり空いた一日だったので
部屋を片付けました。

安倍首相の消費税増税表明に心底怒りながら、
レコード棚を整理していたら
この曲を聴きたくなりました。

ポール・ウェラー兄貴の
「Town Called A Malice」、
邦題「悪意という名の街」!!

高良レコードで
半額シールが張られていたライブ版2枚組。
見つけたときの感激といったら。。。

♪ 時は短く人生は残酷
 でも俺たち次第で変えられるんだ 
 悪意という名のこの町を ♬

ライブの最後の最後の一曲。
サビをみんなで大合唱する
ロンドンっ子の心意気に胸が熱くなります!

那覇の労働者階級だって黙ってないぞ!
明日もがんばろうっと。


  


Posted by 比嘉みずき at 22:49レコード

2013年10月01日

野次を飛ばしても討論しない賛成派

今日は9月定例議会の最終本会議でした。

市長から提案された議題についての
賛成・反対討論が行われる最終日。
わたしも日本共産党市議団を代表して、
一般会計補正予算案の反対討論に立ちました。

補正予算案の討論は、
議事日程の最終盤に行われるため、
待っている間とても緊張するのです。

今回の補正予算案では、
新那覇市民会館の建設地における、
周辺環境を調査する事業が含まれています。

本来であれば、
3つの建設検討地について調査を行った上で、
比較検討を行い、市民の意見も聞いて、
建設地を決定すべきです。

しかし翁長市政は、
市の内部だけで建設地を決定し、
まるで後付けのように調査を行うというのです。
順序がまったく逆です。

新市民会館建設地については、最初から、
市長案の久茂地小学校統廃合跡地ありき。
こうした行政手法は許せないと、
わたしたち日本共産党市議団は
反対討論を行いました。

わたしの討論中、
よく聞こえない小さな声で
野次を飛ばす議員がいました。

立場は違えど、
議論を尽くして賛否を決めていくのが、
議会の役割だと思うのです。

わたしは討論を終えて、
席に戻り賛成討論を待っていましたが、
結局は賛成派の議員からは討論は行われず、
表決が行われ賛成多数で可決となりました。

緊張して待っていたのに、
なんだか拍子抜けしてしまいました。
那覇市議会は議会改革の真っ只中。
「言論の府」と呼ばれるにふさわしい、
議論をしたいものです。


  


Posted by 比嘉みずき at 23:15議会

2013年09月18日

「市民との協働」というけれど

改選後はじめての
一般質問が終わりました。

今回のテーマは
「都市計画と新那覇市民会館建設について」。

翁長市長は新市民会館建設予定地を、
住民合意のない
久茂地小学校統廃合跡地へと決定しました。

地域との意見交換会や、
パブリックコメントも実施したので、
「市民との協働」のまちづくりだそうです。

しかし、地域との意見交換は、
市長案ばかりが説明されて
他の候補地の情報公開はありませんでした。

パブリックコメントを実施したと言いますが、
20件のコメントのうち、
市長案を評価する意見はゼロです。

そもそも、専門的な意見を求めるべき、
那覇市文化行政審議会にも、
建設地についての諮問を行っていません。

結論ありきの説明会、
アリバイづくりの意見交換会を繰り返し、
最後は「選挙に勝ったから」という決まり文句。

こうした手法は、
おもろまち高層マンション建設問題、
沖縄少年会館解体問題、
久茂地小学校統廃合問題、
そして新市民会館建設地問題と
共通しています。

これが那覇市の目指す
「市民との協働のまちづくり」の在り方なのでしょうか。

今回の質問では、
協働のまちづくりの「仕組みづくり」を提案しました。
うわべだけでない本当の意味での協働のまちづくり。

3期目もガチンコ対決でがんばります。


  


Posted by 比嘉みずき at 23:13議会