2010年08月16日
ドゥアルテさんの演説
前回のヴォネガットの演説につづき、
最近わたしが感動した演説
を紹介したいと思います。
去った8月6日に行われた
原水爆禁止2010年世界大会 広島閉会総会での、
国連のセルジオ・ドゥアルテさんの演説です。
『核兵器廃絶は1946年1月に
国連総会が採択した第一号の決議の目標です。
この目標は核兵器そのものと同じぐらい古く、
東西・南北の違いを超えて人々を団結させてきました。
核兵器よりも強力なのは、
共通の大義のもとに結集した世界の人々の連帯です』
ドゥアルテさんの演説がきっかけで、
以前から勉強しようと思っていた、
国際連合の成立過程について調べてみました。
国際連合は1945年10月24日に発足しました。
その国連憲章の前文は次のような言葉ではじまります。
「われら連合国の人民は、われらの一生のうちに二度まで
言語に絶する悲哀を人類に与えた戦争の惨害から将来の世代を救い…」
二度の世界大戦を経験し、
そのような過ちを繰り返さないとする
国際連合の崇高な理念が込められています。
しかし国連憲章なかでは、
「軍縮」に関することはほとんど書かれていません。
軍備の規制を定めた第二六条を読んでみても、
「世界の人間および経済資源の軍事転用の最小化」を想定する、
集団安全保障の体制をどうやってつくりあげていくのかに、
重点が置かれています。
何故か?
実はこの国連憲章が採択されたのは、
国連発足前の1945年6月でした。
そして、国連憲章が採択されたわずか数カ月後、
人類は史上はじめての経験をしました。
1945年8月6日、広島への原爆投下
1945年8月9日、長崎への原爆投下。
一瞬にして20万人余の人々の命が奪われました。
国連憲章の前文に書かれた
「言語に絶する悲哀」を繰り返さないためには、
核兵器廃絶と軍縮の道を選ばなければいけない。
人類の強い決意と、諸国民の平和を求める運動が実り、
1946年1月24日、記念すべき第1回国際連合総会において、
第1号の決議「原子力委員会の設立を求める決議」のなかで、
「核兵器および大量破壊に繋がる他のすべての主要な武器の
国家による武装からの除去」が目標に掲げられました。
わずか数ヶ月間の歴史のなかで、
人類は核兵器を使用する過ちを経験しました。
しかし、同時のその核兵器を廃絶していこうという決意を
国際社会の共通のルールにしました。
歴史を学ぶなかで、
ドゥアルテさんの演説をあらためて読むと、
希望が湧いてきます。
『毎年8月6日、世界の目が広島に注がれるとき、
世界の人々の心はつねにみなさんとともにあります。
私はみなさんとともに、核兵器のない世界を目指して歩めることを誇りに思います。
これは正しい大義であり、過去の被害者や将来の世代に対する
私たちの共通の責任でもあります。いまこそ前進の時です』
その言葉で演説を締めくくったドゥアルテさん。
会場いっぱいの拍手に包まれたんでしょうね。
参考記事
『日刊紙 しんぶん赤旗』 8月8日(日)
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik10/2010-08-08/2010080804_02_1.html
参考図書
『反戦の世界史 国際法を生み出す力』
松竹伸幸著 (新日本出版社)

国連のセルジオ・ドゥアルテさん
最近わたしが感動した演説
を紹介したいと思います。
去った8月6日に行われた
原水爆禁止2010年世界大会 広島閉会総会での、
国連のセルジオ・ドゥアルテさんの演説です。
『核兵器廃絶は1946年1月に
国連総会が採択した第一号の決議の目標です。
この目標は核兵器そのものと同じぐらい古く、
東西・南北の違いを超えて人々を団結させてきました。
核兵器よりも強力なのは、
共通の大義のもとに結集した世界の人々の連帯です』
ドゥアルテさんの演説がきっかけで、
以前から勉強しようと思っていた、
国際連合の成立過程について調べてみました。
国際連合は1945年10月24日に発足しました。
その国連憲章の前文は次のような言葉ではじまります。
「われら連合国の人民は、われらの一生のうちに二度まで
言語に絶する悲哀を人類に与えた戦争の惨害から将来の世代を救い…」
二度の世界大戦を経験し、
そのような過ちを繰り返さないとする
国際連合の崇高な理念が込められています。
しかし国連憲章なかでは、
「軍縮」に関することはほとんど書かれていません。
軍備の規制を定めた第二六条を読んでみても、
「世界の人間および経済資源の軍事転用の最小化」を想定する、
集団安全保障の体制をどうやってつくりあげていくのかに、
重点が置かれています。
何故か?
実はこの国連憲章が採択されたのは、
国連発足前の1945年6月でした。
そして、国連憲章が採択されたわずか数カ月後、
人類は史上はじめての経験をしました。
1945年8月6日、広島への原爆投下
1945年8月9日、長崎への原爆投下。
一瞬にして20万人余の人々の命が奪われました。
国連憲章の前文に書かれた
「言語に絶する悲哀」を繰り返さないためには、
核兵器廃絶と軍縮の道を選ばなければいけない。
人類の強い決意と、諸国民の平和を求める運動が実り、
1946年1月24日、記念すべき第1回国際連合総会において、
第1号の決議「原子力委員会の設立を求める決議」のなかで、
「核兵器および大量破壊に繋がる他のすべての主要な武器の
国家による武装からの除去」が目標に掲げられました。
わずか数ヶ月間の歴史のなかで、
人類は核兵器を使用する過ちを経験しました。
しかし、同時のその核兵器を廃絶していこうという決意を
国際社会の共通のルールにしました。
歴史を学ぶなかで、
ドゥアルテさんの演説をあらためて読むと、
希望が湧いてきます。
『毎年8月6日、世界の目が広島に注がれるとき、
世界の人々の心はつねにみなさんとともにあります。
私はみなさんとともに、核兵器のない世界を目指して歩めることを誇りに思います。
これは正しい大義であり、過去の被害者や将来の世代に対する
私たちの共通の責任でもあります。いまこそ前進の時です』
その言葉で演説を締めくくったドゥアルテさん。
会場いっぱいの拍手に包まれたんでしょうね。
参考記事
『日刊紙 しんぶん赤旗』 8月8日(日)
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik10/2010-08-08/2010080804_02_1.html
参考図書
『反戦の世界史 国際法を生み出す力』
松竹伸幸著 (新日本出版社)

国連のセルジオ・ドゥアルテさん
Posted by 比嘉みずき at 16:54
│平和