2010年06月23日
祖母の沈黙
戦後から65年目の「慰霊の日」を迎えました。
わたしの祖母は現在98歳。
当時は33歳。いまのわたしと同じ年頃だったのか…。
祖母は数年前に脳梗塞で倒れて、
いまは介護施設で暮らしている。
言語障害が残り、おしゃべりは出来ないし、
多少、認知症も見られるけれど、
祖母はしっかりしている。
たまにしか見舞いに来ないわたしを、
鋭い眼で睨みながら、わたしの手を握って離さない。
幼い頃、祖母に戦争のときのことを聞いたことがある。
祖母はまだ幼い長女の手を握り、
背中にはまだ乳飲み子の長男を背負って、
やんばるの山を裸足で逃げまわったそうだ。
「大変だったよ。大変だったよ…」
いつも話はそこまでしか続かない。
祖母は黙ったまま遠くを見ている。
祖母が手をつないで
一緒に逃げた幼い長女は、わたしの母の姉になる。
生きていたら、わたしの伯母さんだ。
まわりから聞いた話では、
幼かったわたしの伯母さんは、
戦争が終わってしばらくしてから、栄養失調が原因で亡くなったそうだ。
祖母の沈黙のなかに、
幼かった長女がずっと生きているのだろう。
「自分だけが生き残ってしまった」
沖縄戦を体験した人は、その罪悪感をもちつづけて、戦後を生きている。
わたしはその気持ちを思うと胸がつぶれそうになる。
戦後65年。
すごく遠い話みたいに聞こえるけれど、
あの地上戦をくぐり抜けてきた方たちにとっては、
決して忘れることのできない過去なのだ。
わたしは祖母から、
沖縄戦の話を少しだけしか聞けなかったけれど、
祖母が話したくても語れなかった
その「沈黙」を知っている。
「沈黙」がもっている悲しみ。怒り。
その背景にあった歴史を。
わたしたちは後世に伝えていかなくてはいけない。
慰霊の日の正午。
決して癒されることのないこの島に、
黙祷の合図を知らせる船の汽笛が聞こえてきた。

反戦平和の祈りをこめて
わたしの祖母は現在98歳。
当時は33歳。いまのわたしと同じ年頃だったのか…。
祖母は数年前に脳梗塞で倒れて、
いまは介護施設で暮らしている。
言語障害が残り、おしゃべりは出来ないし、
多少、認知症も見られるけれど、
祖母はしっかりしている。
たまにしか見舞いに来ないわたしを、
鋭い眼で睨みながら、わたしの手を握って離さない。
幼い頃、祖母に戦争のときのことを聞いたことがある。
祖母はまだ幼い長女の手を握り、
背中にはまだ乳飲み子の長男を背負って、
やんばるの山を裸足で逃げまわったそうだ。
「大変だったよ。大変だったよ…」
いつも話はそこまでしか続かない。
祖母は黙ったまま遠くを見ている。
祖母が手をつないで
一緒に逃げた幼い長女は、わたしの母の姉になる。
生きていたら、わたしの伯母さんだ。
まわりから聞いた話では、
幼かったわたしの伯母さんは、
戦争が終わってしばらくしてから、栄養失調が原因で亡くなったそうだ。
祖母の沈黙のなかに、
幼かった長女がずっと生きているのだろう。
「自分だけが生き残ってしまった」
沖縄戦を体験した人は、その罪悪感をもちつづけて、戦後を生きている。
わたしはその気持ちを思うと胸がつぶれそうになる。
戦後65年。
すごく遠い話みたいに聞こえるけれど、
あの地上戦をくぐり抜けてきた方たちにとっては、
決して忘れることのできない過去なのだ。
わたしは祖母から、
沖縄戦の話を少しだけしか聞けなかったけれど、
祖母が話したくても語れなかった
その「沈黙」を知っている。
「沈黙」がもっている悲しみ。怒り。
その背景にあった歴史を。
わたしたちは後世に伝えていかなくてはいけない。
慰霊の日の正午。
決して癒されることのないこの島に、
黙祷の合図を知らせる船の汽笛が聞こえてきた。
反戦平和の祈りをこめて
Posted by 比嘉みずき at 22:10
│平和