2010年01月12日
辺野古の海
わたしの3連休は名護市長選挙の応援で過ぎて行きました。
普天間基地の「移設先」探しで迷走している鳩山政権に、
決定的な審判を下す重要な選挙。
この歴史的なたたかいに参加することに、
誇りを感じながら高速道路を走らせています。
わたしが平和運動に積極的に関わるようになったのも、
また政治の道を志すきっかけになったのも「辺野古」でした。
2004年4月辺野古では那覇防衛施設局が、
ボーリング調査を始めるということで大変緊迫していました。
「いよいよ明日が調査を強行する日」との連絡が入ったときに、
わたしは那覇市の病院で勤務をしていたのですが、
先輩から「阻止行動に行くぞ」と誘われました。
当時のわたしは反対集会などには参加したことはあっても、
阻止行動なんていう「たたかいの現場」に立ち会うことはありませんでした。
夜明け前、まだみんなが寝静まっている頃、
先輩と一緒に高速道路を走らせていました。
「歴史のなかで必ずその場にいなければいけない瞬間がある。それが今日だぜ」
冷たい風が車の窓を叩き、まだ明けきらない空に雲が早く流れていました。
いまから始まる厳しいたたかいに一抹の不安を抱えながらも、
歴史的な場面に立ち会えることへの誇りがありました。
あれから月日は流れ、歴史は動いてきました。
そしてわたしたちは、日米両政府という巨大な権力に、
辺野古の海に、杭一本たりとも打たせてこなかった。
何度も通ってきた辺野古ですが、
あの日、先輩と行った日がなければ、
わたしの歩んできた道も変わっていたかもしれません。
いろんな選挙で負けたり、基地建設の策動が進められようとしたとき、
わたしは、基地をつくらせないと誓ったあの日の海を思い出します。
疲れたり、くじけそうになったとき、
早起きをして歴史の現場にかけつけたあの日を思い出します。
あの日に誓った自分に負けないように。
今日も高速道路を走らせるのでした。
連休はじめの土曜日。
自分の気持ちを奮い立たせるため、
選挙事務所に行くまえに、辺野古の海に行きました。
大きく静かな海。まっすぐに伸びた水平線。
辺野古の海は何も変わってはいませんでした。

この海のまえでは言葉はいりません
普天間基地の「移設先」探しで迷走している鳩山政権に、
決定的な審判を下す重要な選挙。
この歴史的なたたかいに参加することに、
誇りを感じながら高速道路を走らせています。
わたしが平和運動に積極的に関わるようになったのも、
また政治の道を志すきっかけになったのも「辺野古」でした。
2004年4月辺野古では那覇防衛施設局が、
ボーリング調査を始めるということで大変緊迫していました。
「いよいよ明日が調査を強行する日」との連絡が入ったときに、
わたしは那覇市の病院で勤務をしていたのですが、
先輩から「阻止行動に行くぞ」と誘われました。
当時のわたしは反対集会などには参加したことはあっても、
阻止行動なんていう「たたかいの現場」に立ち会うことはありませんでした。
夜明け前、まだみんなが寝静まっている頃、
先輩と一緒に高速道路を走らせていました。
「歴史のなかで必ずその場にいなければいけない瞬間がある。それが今日だぜ」
冷たい風が車の窓を叩き、まだ明けきらない空に雲が早く流れていました。
いまから始まる厳しいたたかいに一抹の不安を抱えながらも、
歴史的な場面に立ち会えることへの誇りがありました。
あれから月日は流れ、歴史は動いてきました。
そしてわたしたちは、日米両政府という巨大な権力に、
辺野古の海に、杭一本たりとも打たせてこなかった。
何度も通ってきた辺野古ですが、
あの日、先輩と行った日がなければ、
わたしの歩んできた道も変わっていたかもしれません。
いろんな選挙で負けたり、基地建設の策動が進められようとしたとき、
わたしは、基地をつくらせないと誓ったあの日の海を思い出します。
疲れたり、くじけそうになったとき、
早起きをして歴史の現場にかけつけたあの日を思い出します。
あの日に誓った自分に負けないように。
今日も高速道路を走らせるのでした。
連休はじめの土曜日。
自分の気持ちを奮い立たせるため、
選挙事務所に行くまえに、辺野古の海に行きました。
大きく静かな海。まっすぐに伸びた水平線。
辺野古の海は何も変わってはいませんでした。
この海のまえでは言葉はいりません
Posted by 比嘉みずき at 16:25
│平和