2013年04月29日

4・28「屈辱の日」沖縄大会

一万人の「沖縄を返せ」の大合唱で始まった
4・28「屈辱の日」沖縄大会で、
静まり返った瞬間があった。
座間味村議会 中村議長の訴えのときでした。

座間味村慶留間島は、
沖縄戦のとき強制集団死が起きた島。

中村さんの父が亡くなったとき、
「あなたの父も集団自決の被害者だ」と、
島の先輩から知らされた。

「手をかけたのはわたしの祖父だった。
 父は生き延びてわたしが生まれたが、
 父はそのことを話すことなく亡くなった」

とつとつと語る中村さんの話に、
会場は静まりかえりました。

中村さんをはじめ、
わたしたちの祖父や祖母が語れなかった戦争を、
県民は知っているから。

祖父や祖母がどうしても語れない、
その沈黙の重さを知っているから。

中村さんたちは旧姓、
沖縄名の「仲村渠」だったそうだ。
なぜヤマト名の「中村」に改姓したかを父に聞いたら、
「戦後は平和で豊かなヤマト世になるから」
と答えたそうです。

こうした沖縄県民の期待を、想いを裏切ったのが、
1952年4月28日。

日本国憲法のうえに日米安保条約がのさばる、
対米追随のこの国の在りように、
わたしたちは怒っているのだ。

この屈辱の日を、
あらたなたたかいのはじまりの日として、
胸に刻みました。

4・28「屈辱の日」沖縄大会


                       民族の怒りに燃ゆる島


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Posted by 比嘉みずき at 10:02 │平和