日米安保に風穴あけた選挙
当選のあいさつをする稲嶺ススムさんの言葉を、
深い感慨をもって聞きました。
「市民投票も市長選も民意と言われてきたが、今回、民意が一つだと示した。
辺野古の海に基地は造らせないという公約を、信念を持って貫いていきたい」
1997年の名護市民投票や、
世論調査では「県内移設反対」が多数なのに、選挙では容認派が勝っていく。
13年間普天間移設問題で揺れ続けた名護市に、
辺野古移設反対を表明した市長が初めて誕生した瞬間でした。
振興策と基地負担の関係は「アメとムチ」ではなく、
「麻薬と耐えがたい痛み」だということを、名護市民は経験をもって知り、
そして、「こんなことはもう終わりにしよう」と決めたのです。
今年は、日本に米軍基地が存在するその根拠となっている、
日米安全保障条約改定から50年。
今回の名護市長選挙を通じて、多くの県民・日本国民が、
「安保とはなんぞや」を考えたと思います。
安全保障の名のもとで、
県民の財産も、命も、誇りも踏みにじり、
抑止力の名のもとで、他国を侵略する戦争に参加するために、
この島から戦闘機が飛んでいく。
癒しの島と呼ばれるこの島は、
決して癒されることのない人々が暮らしている。
「安保とはなんぞや」
日米両政府にそのことを突き付ける選挙結果をだすことができました。
沖縄県民として誇らしく思います。
市長選挙から一夜明けた今日、空がいつもより高く感じるのでした。
この水平線をいつまでも。
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