祖母の沈黙
わたしに、叔母がいたことを知ったのは、
物心がついて、だいぶ後になってのことだった。
母からその話を聞いた。
沖縄戦のころ、わたしの祖母は、生まれて間もない赤ちゃんを背負い、
手には幼い娘をひいて、やんばるの山のなかを逃惑ったそうだ。
背負っていた赤ちゃんはわたしの叔父である。
祖母が手を引いていた子供が、母の姉であり、わたしにとっての叔母であった。
しかし戦後、貧しい生活のなかでわたしの叔母は幼くして亡くなったそうだ。
この話は戦後に生まれた母も、あまり詳しくは知らないらしい。
わたしはその話を聞いてから、
当時、一緒に住んでいた祖母に、
幾度となく、沖縄戦のことや亡くなった叔母について尋ねた。
叔母は幼かったけれど、思いやりにあふれ、
祖母に優しくしてくれたこと。そして勉強もできる自慢の娘だったこと…。
しかし、いつも途中で「もういいさ…」と祖母は口をつぐんだ。
その時の祖母の遠くを見るような悲しい眼と、沈黙にわたしは戸惑った。
結局、沖縄戦の話はしてくれなかった。
大人になって少しづつ祖母の「沈黙」の意味がわかるようになった。
わたし達の世代は本当の沖縄戦を知らない。
けれど。祖母たちが口をつぐむ「沈黙」に、わたし達は寄り添うことはできると思う。
沈黙の深いところにある悲しみを知ったときに、はじめて「命どぅ宝」という言葉の重みを感じた。
戦後64年経った「慰霊の日」に、あらためて反戦の想いと、
戦没者への哀悼を捧げた。
ゆずることのできない信条
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