復帰記念日に思うこと

比嘉みずき

2009年05月16日 20:42

昨日は1972年に沖縄が本土に復帰して、37回目の記念日でした。

わたくし比嘉みずきは1974年生まれです。
あの地上戦も知らなければ、米軍統治下の沖縄も知らない、復帰後世代です。

沖縄の歴史を知るたびに、ひとつの疑問をもつようになりました。
「なぜ、ウチナーンチュは本土復帰を望んだのか?」
そのことです。

わたし達のおじいさんやおばあさんは、4人に1人が亡くなった地上戦をくぐりぬけてきました。
あの沖縄戦は、日本が本土決戦を遅らせるためにとった「捨て石作戦」だったことを知りました。
また、守ってくれるはずの軍隊が、島の人たちをスパイ視したり、ガマから追い出したりしたことも、わたしは知りました。
そんな日本にどうして、おじいさんやおばあさんは「帰りたい」と思ったのだろうか?

戦後もサンフランシスコ講和条約によって、沖縄は奄美とともに日本から切り捨てられ、
米軍占領下で、土地を奪われ、人権を踏みにじられてきたことを、わたしは知りました。
そんな時代を生きた、父や母の世代が、どうしてあんなにも本土復帰を望んだのかを、
わたしは疑問に思うようになりました。

ある先輩がその疑問に答えてくれました。

「あの時、沖縄の人々みんなが復帰を望んだのは、日本が戦争を二度としないと誓ったからなんだよ。沖縄の人たちは、日本国憲法のもとに帰りたかったんだ。だから島ぐるみでみんなが立ち上がったんだよ」

わたしはこの話を聞いた時に、この島に生まれ育ってきたことを、こんなにも誇らしく思ったことはありませんでした。

昨日、復帰記念日にあたり、与儀公園の記念碑を見に行きました。
その記念碑には、憲法九条の条文が刻まれています。
おじいさんやおばあさん、父や母達が、心から欲して止まなかった日本国憲法。
私たち世代が、しっかりと守って、次の世代に手渡さねば。
あらためて誓った日でした。



                      与儀公園の一角にある記念碑

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